誰かが怒ると誰かに伝染して、誰かがまた怒る。それがまた誰かに伝染してな~んにもいいことない!世界を平和にする本気の合言葉が「いいから いいから」かもしれません。
そんないつも「いいから いいから」が口癖のおじいちゃんと、ボクのお話。鬼の親子におへそをとられても「いいから いいから」。びんぼう神が来てしまい、家がびんぼうになっても「いいから いいから」。出かけた旅館の部屋にお化けが入ってきても「いいから いいから」。
とってものどかで、笑える絵本。子ども達にも大人気です!
2013/02/22
誰かが怒ると誰かに伝染して、誰かがまた怒る。それがまた誰かに伝染してな~んにもいいことない!世界を平和にする本気の合言葉が「いいから いいから」かもしれません。
そんないつも「いいから いいから」が口癖のおじいちゃんと、ボクのお話。鬼の親子におへそをとられても「いいから いいから」。びんぼう神が来てしまい、家がびんぼうになっても「いいから いいから」。出かけた旅館の部屋にお化けが入ってきても「いいから いいから」。
とってものどかで、笑える絵本。子ども達にも大人気です!
2013/02/21
恒例の1年生との交流会。昨日年長さんが行ってきました。まずは体育館にいろいろなコーナーを用意してくれて、1年生の担当が、グループに分かれた年長児を連れて一緒に遊んでくれました。複数のコーナーで楽しむことができました。1年生の中には、去年まで一緒のクラスで遊んだ仲間もいたので、すぐにリラックスできました。その後、1年生は校舎内を案内してくれましたが、1年経つとぐっとしっかりしてしまうんですね。毎年のことながら感心してしまいます。年長さんは楽しかった~と話していたので、親たちも安心した様子です。小学校へのワクワク感が高まってよかったです。1年生のみなさん、どうもありがとう!
2013/02/20
昨日に引き続き、吉田俊道さんから送られてきた「保育園での改善例」。これを目指しています。
・分づき米または雑穀入りごはん。 ・最初の一口だけ、全員で100回噛む(脳の活性化、落ち着き、有害物分解、消化吸収促進、便秘解消、唾液腺の発達) ・食事中、テーブルに飲み物を置かない。 ・煮干しや小魚の頭ごと料理を毎日。 ・みそ汁等のダシは、頭ごとのアゴ(とびうお)、煮干、昆布を粉末にしたものを使う。 ・味噌、醤油、酢、油、塩、砂糖を変える。 ・3時のおやつはおにぎり(煮干入り炊き込みご飯)・いろんな無農薬野菜のお茶(人参葉、番茶、柿、薬草茶)、氷水はやらない。 ・6時のおやつは出来るだけやらない(夕食が遅すぎる家庭など、必要ならおにぎりのみ)
2013/02/19
先週、吉田俊道さんの講演を拝聴しました。皆さん「とてもためになった!」と、食に対する意識がより高まってきたと思います。元気な子どもにするために、できる事は極力努めていきたいです。今日の昼食の献立、“ホウレンソウの納豆和え”のほうれんそうはまるごとで、生長点がいっぱいでした。そして今日、吉田先生からMLで「給食改善で子ども達に、地球の生きる力(ビタミン、微量ミネラル、ファイトケミカル)をつなごう(保育園での改善例)」が送られてきましたので、紹介します。学校給食では、まだまだ生長点をごっそり捨ててしまったり、野菜は皮をむいてしまったり、塩素で洗ったり・・・などというところがあるようです。免疫力を落とさないように、以下の事例の他にもイリコやアゴ等の粉末も積極的に使っていきたいです。
≪・旬の露地野菜。できれば無農薬無化学肥料。 ・皮は汚いところだけむく。煮る料理は菌の問題はない。 ・柔らかい芯、地際部も使う(キャベツ、玉ねぎ、葉野菜) ・玉ねぎの皮の活用(味噌汁、カレー、どんぶり、お茶) ・ヘタや芯、首、皮などきれいな調理クズを弱火で煮て(ベジブロススープ)、汁もの料理や、ソフト食を煮る時に使う。 ・下ゆでしない(野菜のアクはミネラル、うまみのもと) ・和え物料理はゆでずに蒸して使う。 ・調理前に水に漬ける時間を極力減らす。 ・生野菜の千切り後は水に漬けない。洗ってから千切り。 ・生野菜よりもぬか漬け、浅漬け、味噌漬け、たくわん、梅干、納豆。 ・毎日野菜たっぷり味噌汁かスープ(栄養は煮汁に出る)を。≫
2013/02/18
修養団・元伊勢道場長中山靖雄氏の『すべては今のためにあったこと』を読んで、中山氏の魂の深さに感銘を覚えました。
本の中で“許しおおす”ということを説明する下りで、次のようにあったので紹介します。「すべてを受け入れることは本当に難しいことです。しかし、命の理由を学びきったならば、きっと許しおおすことができます。」とあり、次に続きます。
≪どんなご縁であっても、自分の為にその出来事に出会わせてもらっています。そのことを本当に納得し、「こういうご縁だったんだなあ」と心から思えた時に自分が解放されるのです。しかし、到底受け入れられない筆舌に尽くしがたい出来事が起きてしまった時も、本当にそんなふうに思えるのか。そのことを考えてみたいと思います。
私のところに勉強に来られていた高円寺さんというご夫婦がおられました。この高円寺さんの5歳の娘さんが突然交通事故に遭い、亡くなってしまったのです。その時、事故を起こした人が警察にいるということを聞いて、このご夫婦はその人に会いに行かれました。そしてどうされたかというと、このご夫婦はその事故を起こした方に向かって、土下座をしてお詫びをされたのです。「こういう縁にあわせてしまってごめんなさい。こういう縁にあう子どもを育てたのは私の因縁です。どうぞあなたは安心して、このことを忘れて、世の為人の為になって下さい。本当にごめんなさい。」このように謝られたのです。ご夫婦には、悲しみも、許しがたい思いも当然あったでしょうが、命が生まれてきた理由を本当に学びきっておられたのですね。
頭でわかっていても、実際にそんな目に遭った時に、本当にそう思えるかどうかということが難しいわけです。ご夫婦は普段からそのような生き方をしていたからこそ、その時にそういう思いが湧かされたのでしょう。
「許す」ということの大切さはみんな知っているかもしれません。しかし、「許すこと」「許しきること」さらに「許しおおすこと」は深さが違うのです。この「許しおおす」という世界は、このご夫婦のようなことをいうのかなと深く感じさせられました。≫