ふるさとだより

子どもは親を選ぶ?

2013/04/02

子どもは親を選んでくる・・・と、言う方は多いですが、私もそう思います。

池川クリニック院長、池川明医師は次のように仰っています。       
 【胎内記憶を語る子供たちの中には、例えば「僕はさぁ、雲の上で見ててママのところにビューンて来たんだよ」と、
生命が宿る前の中間生や過去生の記憶まで出てくるケースもあるんです。
最初に気づいたのは、ある女の子が、女優さんになりたいから、空の上から綺麗なお母さんを選んできたって
話しているのを聞いた時です。
調べて分かったのは、胎内に宿る前の記憶を持っている子が二十%、五人に一人いたんです。
おなかの中の記憶以上に不思議な話ですから、オカルトっぽいし、虐待や中絶をする親はどうなんだといった疑問や反論も受けます。
わざわざそんな親を選んでくる子がいるのはおかしいと。
こういうことを言うと結構批判を受けるんですが、これまで聞いた話から推測すると、どうもそういう子は、敢えて虐待や中絶をされるためにその親を選んできているようなんです。
恨んでいる子は一人もいなくて、みんな「お母さんありがとう」って言うんです。
赤ちゃんはお母さんを精いっぱい応援していますし、命を懸けてお母さんを守ろうとしています。
そして長い目で見ると、中絶や虐待があったことによって、お母さんや家族が愛情を取り戻したりすることがあるようなんです。
あるお母さんは、義理のお父さんを恨んでいたそうなんですが、赤ちゃんを流産した後、そのお義父さんが
「神様は絶対に悪いことをしないから」と声をかけてくれたそうなんです。
実はそのお義父さんは、かつて病気で九死に一生を得た方でした。
お母さんはお義父さんの優しさを初めて実感して、家庭が穏やかになったそうです。
それからあるお母さんは、自分が子供の頃に虐待を受けて嫌な思いをしたのに、今度は自分が我が子に虐待をしていた。
ある時我が子の写真を見たら、目の奥に仏様の慈悲の心が見えてハッとしたそうなんです。
すぐ子供にそれまでのことを謝ったら、その子は僅か五歳なんですが
「僕はお母さんが分かってくれるって信じていた。 だってお母さんがそうするのは お祖母ちゃんからそうされたからだし、
 お祖母ちゃんもそうされてたんだから誰も悪くない。 お母さんが気づいてやめてくれてよかった」って言ったそうなんです。】
  ・・・・・・・子どもが自分を選んでくれたことを自覚することで、より成長させてもらえるような気がします。

桜満開の新年度

2013/04/01

桜が咲いてから気温の低い日が続いていたので、今日もこんな見事に咲き誇っています。久しぶりの青空の下、心地よい風に吹かれて桜の花びらが舞っていました。

今日(今年度)から新しい試みがあります。それは、その子のお誕生日に、本人の好きなものを身につけて一日過ごす…というものです。早速、今日の誕生日の子がいたので、事務室の“誕生日グッズコーナー”で好きなものを選び(今日の子は仮面ライダーのベルト)、みんなから「おめでとう!」を言ってもらえて、本人もとても満足していた様子でした。これから、こんなグッズを見についている子を見かけましたら、祝福の言葉をかけて頂けたらうれしいです。他の子ども達も、自分の番を心待ちしていることでしょう。

あっという間に桜が・・・

2013/03/21

暑さ寒さも彼岸まで・・・。先週あたりから急に暖かくなり、運動の時間は半袖の子が多くなってきました。今日は少し気温が下がりましたが、ノースリーブの子もいて、子どもの元気さがうらやましい限りです。今日の午後は、森のお部屋に全園児が集まって、“お別れ集会”を。引き続き卒園式の練習にみんなで参加しました。一年間の思い出のスライドショーもみんなで見ました。それにしても小さい子たちも静かにできるようになって、本当に最終月に相応しいことをつくづく感じました。いよいよ明後日卒園式です。

1,2日前からほころんできた桜が、今日は3分咲きに・・・。卒園式には、もっと華やかになりますが、入園式につきものの桜が見られなくなりそうです。

今、各保育室では、個別のアルバム作りに精が出ています。

思い込み

2013/03/19

年度末にはダスキンさんに床ワックスがけをお願いしたので、昨日請求書が届きました。その中に一通の手紙が同封されてありました。毎月社長さんが“社長の手紙”として出しているものです。そういえば去年も頂き感動したのですが、今回も“気づき”を頂いたので、紹介したいと思います。

【読売新聞の“編集手帳”(竹内政明氏記)からの抜粋です。≪芝居が始まったのに、その少女は客席の最前列で頭を垂れ、居眠りをしている。“屋根の上のヴァイオリン弾き”九州講演のことである。◆森繁久彌さんをはじめ俳優たちは面白くない。起こせ起こせ・・・。そばで演技をするとき、一同は床を床を音高く踏み鳴らしたが、ついに目を覚まさなかった。◆アンコールの幕が上がり、少女は初めて顔を上げた。両目が閉じられていた。居眠りを見えたのは、盲目の人が全神経を耳に集め、芝居を心眼に映そうとする姿であったと知る。心無い仕打ちを恥じ、森繁さんは舞台の上で泣いたという・・・・・≫(2009年11月11日)

このコラムを紹介した後で、ダスキンの社長さんは、こういう思い込みから、真実に目を向けないで何度も失敗したことがあるといいます。しかし、それからは、ことが起こったら、必ず自分で現場を確かめるようにしているそうです。盲目の少女に心無い仕打ちをすることのないように、自分の人生を歩んでいけたら…ということで結んでありました。・・・私も心しなければ・・・と思いました。

名前

2013/03/18

『安岡正篤活学一日一言』(致知出版)の2月19日に「名前」というタイトルがあります。そこには次のように書かれています。“子どもに名前をつけるということは、子どもに対して、かくなければならぬ、かくあれかし、という絶対的な意味を持たせて初めて命名であります。又子供もそうであります。親はまだ子供に対して命名らしい命名をするのですけれども、命名されたその子供が自分の名前の真の意義を知らない、というのが案外多い。親が教えないということもあろうが、せめて自分の名前がどういう意味かくらいは知っておいて欲しいものです。これは自分というものを本当に認識していない、把握していない証拠である。”

近年、 輝宙(ピカチュウ)、礼(ペコ)、英雄(ヒーロー)・・・などと、自分の子どもにこんな信じられない名前をつける親があるといいます。いかがなものでしょうね。