先週末から比較的凌ぎやすい日が続いています。自然の風が心地いいです。
5~6年前から玄関前のソテツの(中央の黄色い突起のようなもの)雄花が毎年咲くようになり、楽しみの一つになっています。
雌花はまだ見たことがありませんが、雄の木や雌の木があるのでしょうか?
この雄花はある程度の高さまで伸びると、曲がってきてしまうので、ここ2,3日が見ごろかもしれません。
2013/07/22
先週末から比較的凌ぎやすい日が続いています。自然の風が心地いいです。
5~6年前から玄関前のソテツの(中央の黄色い突起のようなもの)雄花が毎年咲くようになり、楽しみの一つになっています。
雌花はまだ見たことがありませんが、雄の木や雌の木があるのでしょうか?
この雄花はある程度の高さまで伸びると、曲がってきてしまうので、ここ2,3日が見ごろかもしれません。
2013/07/19
先天性四肢欠損症──。生まれつきほとんど手足がないという重度の障碍を抱えられている佐野有美さん、23歳。
プロの歌手として活動する傍ら、年間約100回、講演で全国各地を飛び回り、多くの方々に感動と勇気を与えておられます。佐野有美さん(さの・あみ=車椅子のアーティスト)の記事を紹介します。
【皆さんもなんで手で食事をするのって急に言われると困るじゃないですか。
それと同じように私も唯一あったこの三本の指で、ごく自然と周りのものを触ったり、掴んだりしていたようです。
それを見た母が、「あれ? もしかしたら足でいろいろできるんじゃないか」
と思ったらしく、積み木やおもちゃで遊ばせたり、フォークやスプーンを持たせてくれたんです。
三歳の時、あゆみ学園という肢体不自由児施設に一年間だけ通っていたのですが、
そこで着替えの練習をしていた記憶があります。
これは私の中で一番嫌な訓練でしたね。
フックのついた柱が二本あって、その間にパンツやTシャツをかけておくんです。
そこをお尻で移動して、脱いだり穿いたりする練習をしたんですけど、なかなか上手くいかない。
私が「できない」って言うと、母は「やってみなきゃ分からない」と。
ところが、何回やってもできないわけですよ。それで段々嫌になってしまったんです。
ただ、どんなに弱音を吐いても、「いや、大丈夫。もう一回やりなさい。有美ならできるから」
と言って、母はとにかくやめさせてくれませんでした(笑)。
そうやって毎日、毎日、言われるがままにやっていたらある日、Tシャツを着ることができました。
その時、母に「ほらね。やっぱり有美はできるんだよ」って言われたのが凄く嬉しくて、そこからどんどんチャレンジ精神が出てきました。そのうち道具を使わずに、足でTシャツの裾を引っ張って着脱したりと、自分でいろいろ考えていけるようになりました。
私は、他人と同じ方法ではできません。
ピアノを弾いたり、字を書いたり、裁縫とかも自分なりに工夫してできるようになりました。
それから、小学校三年生の時に水泳で二十五メートル泳ぎたいって思ったんです。
一般学校に通っていたので、私以外はみんな手足があって、普通に泳いでいました。
それを見て、私もみんなのように泳ぎたいなと。
そしたら父が協力してくれて、どうやったら泳げるか一緒に考えてくれました。
そして辿り着いたのが有美泳ぎ(笑)。
バタフライのように体全体をうねらせるんです。息継ぎする時はクルンと仰向けになって、またクルンと戻る。
それなら泳げるんじゃないかということで、地元の市民プールで父と特訓を始めました。
ところが、何度も溺れるんですよ。それで水が怖くなってしまって、やっぱり私には無理だと。
でも、その時に父が
「ここで諦めていいのか? さっき一人で五メートル泳げただろ。まだ行けるぞ」って励ましてくれたんです。
「そっか、私の目標は二十五メートルだ。 諦めるわけにはいかない」
と思い直して、頑張って練習を重ねて、遂に二十五メートルを泳ぐことができたんですよ。
そしたら父が
「学校でも泳いでみろ。もっといけると思うよ」と。それで先生に
「限界まで泳がせてください」とお願いして、クラスの皆に見守られながら泳ぎました。
ターンの際は、片足を水中で回し、体を半回転させて短い足で壁を精いっぱい蹴る。
そして、顔を上げた瞬間、もう先生も友達も大拍手。気づいたら百メートルも泳いでいたんです。
あの時の達成感はもう本当に忘れられません。
いま振り返ると、初めて心の底から諦めないでよかったって思えた瞬間だったと思います。】
2013/07/18
先日どなたかの話を伺っていたら、“雑用”というものないのだと仰っていました。私は気軽に雑用、雑用と言ってしまっていたので???と感じました。その方は、“雑用というのは、雑にするから雑用と言う”のだということでした。
なるほど!と、思いました。ただお皿を並べるだけの仕事でも、何も考えずにするのではなく、この席に座る人の幸せを願って「お幸せに」、「お幸せに」・・・などと心の中で祈りながら並べるのでは全く違うと思います。ですから、こんな大変な雑用をさせて!と思わずに、30分の用を足す場合でも、不平不満を思いながらの30分と、感謝しながら、あるいは楽しんでの30分とは同じ30分でも、内容はまったく違うものになってしまうと思います。つい忙しくしていると、こんなことを考える余裕をなくしますが、心したいと思いました。忙しいとは、“心を亡くす”と書きますから・・・。
2013/07/17
昨日、園庭のEM畑できゅうり・いんげん・ミニトマト等、調理室裏のグリーンカーテンで収穫したゴーヤです。きゅうりとゴーヤは出荷できるのではないかと思うほど、大きくて見事な出来栄えです。
今日の昼食に早速使われましたが、EM栽培のものは安心・安全な上に、美味しい!
食の安全、これが最も大切なことではないでしょうか?食べたものでしか身体は作られないのです。子ども達の為に、地域で取り組んでいかなくてはならないことです。地域で取り組むっていうことは、ボランティアの方にも大いに協力してもらえるような体制作りが必要かもしれません。そう、一施設だけでは何もできないのです。これからは地域の力が必要です。是非ご協力お願いしたいと思います。
2013/07/16
全日空(ANA)で24年間客室乗務員(CA)を務め、天皇皇后両陛下や各国要人のVIP特別機担当として活躍してきた里岡美津奈さん。 この方の「チャンスを呼び寄せた3つの習慣」としての記事があったので紹介します。
【私はこれまでの人生で、何かを狙って掴み取った体験は一度もありません。
短大を卒業後、実家で家事手伝いをしながら、このまま結婚していくのだろうなと漠然と考えていた私が、
程なく全日空(ANA)のキャビンアテンダント(CA)となり、天皇皇后両陛下をはじめ各国の要人の接遇に携わる
立場になるなど思いも寄らないことでした。
特別な取り柄もない私が、こうした素晴らしい機会に恵まれたのはなぜでしょうか。
一つ思い当たることは、習慣を大切にしてきたということです。
私がいつも心掛けてきたのは、
「常に笑顔でいること」「身だしなみをきちんと整えておくこと」そして「常に相手の期待より少し上を目指していくこと」でした。
入社して九年目、トップVIP担当の客室乗務員の訓練制度が発足し、私はその第一期のメンバーに選ばれました。 イギリスのサッチャー元首相のフライトを担当させていただくことになった時、私をなぜそのような責任ある仕事に選んでいただいたのか、上司に尋ねてみました。その上司は、私の仕事にはミスが少なく、常に高いクオリティーで安定しているので安心して任せられると判断してくださったそうです。
習慣というのは、昨日、きょう始めたことではなく、どんな状況でも常に行っていることです。
よい習慣を続けてきたことで、私は少しずつ周りの方々から信頼され、安心してもらえる人財に育っていったのでしょう。そして私の習慣は、二十代の頃の様々な体験を通じて培われたものなのです。】