ふるさとだより

足なし禅師と呼ばれた禅僧

2013/10/18

感動した記事があったので紹介します。

≪「足なし禅師」と呼ばれた禅僧がいた。
小沢道雄師。大正9年生まれ。幼年期、曹洞宗の専門道場で修行。
20歳で召集を受け満州へ。昭和20年、25歳で敗戦。シベリアに抑留され強制労働。
 だが、肩に受けた銃創が悪化し、役立たずは不要とばかり無蓋(むがい)の貨車で,牡丹江の旧日本陸軍病院に後送される。

氷点下4、50度の酷寒に夏服のままで、支給された食料は黒パン1個、飲み水もままならず、
3日間を費やした行程で死者が続出した。
小沢師は死こそ免れたが、両足が凍傷に侵された。
膝から切断しなければ助からない。
その手術の担当軍医は内科医で外科手術はそれが初めて。麻酔薬もない。
メスを執った軍医がしばらく祈るように目を閉じた姿を見て、小沢師はこの軍医に切られるなら本望だと思い定めた。想像を絶する激痛。歯がギリギリ噛み合い、全身がギシッと軋(きし)んで硬直した。
すさまじい痛みは1か月余続いた。
8月に突然の帰国命令。歩けない者は担架に担がれ、牡丹江からハルビン、奉天を経てコロ島まで、
1,500kmを徒歩で行くことになった。
 だが、出発して3日目の朝、目を覚ますと周りには誰もいなかった。
満州の荒野に置き去りにされたのだ。あらん限りの大声で叫んだ。
折よく通りかかった北満から引き揚げ途中の開拓団に救われたのは、僥倖というほかはなかった。
 崖っぷちを辿るようにして奇跡的に帰国した小沢師は、福岡で再手術を受け、故郷相模原の病院に送られた。
母と弟が面会に来た。
「こんな体になって帰ってきました。 いっそのこと死のうと思いましたが、 帰ってきました」
言うと、母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、小さく言った。
「よう帰ってきたなあ」母と弟が帰ったあと、小沢師は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。
懊悩の日は続いた。
気持ちはどうしても死に傾く。その果てに湧き上がってきた思いがあった。
比べるから苦しむのだ。比べる元は27年前に生まれたことにある。
27年前に生まれたことを止めて、今日生まれたことにしよう。
両足切断の姿で今日生まれたのだ。そうだ、本日たったいま誕生したのだ。
足がどんなに痛く、足がなく動けなくとも、痛いまんま、足がないまんま、動けないまんま、生まれてきたのだから、何も言うことなし。本日ただいま誕生!
深い深い覚悟である。
一、微笑を絶やさない
一、人の話を素直に聞こう
一、親切にしよう   
一、絶対に怒らない
小沢師はこの4つを心に決め、58年の生涯を貫いた。命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。≫

十三夜

2013/10/17

旧暦の9月13日で、新暦では10月の中旬~下旬にあたります。十五夜を「中秋の名月」と呼ぶのに対して、十三夜は「後の月(のちのつき)」「豆名月」「栗名月」ともいい、十五夜に次いで美しい月とされています。

一般に十五夜にお月見をしたら、必ず同じ場所で十三夜にもお月見をするものとされてきました。十五夜だけ鑑賞するのは「片月見」といって忌まれていたと言います。

今夜も見られるといいですね。

降園時には、調理担当スタッフが、ススキや、年中さんが作ってくれた団子13個、秋の果物などのお供えを、玄関前に用意してくれました。

書籍紹介

2013/10/16

 2年前の東日本大震災で、きちんと列を作って順番を待つ姿、子どもやお年寄りを優先する姿の日本人の規律の良さは、全世界に報道され、大きな感動を呼んだことは記憶に新しいことです。(こういう時必ず諸外国では、略奪や暴動が起きると言います。)

なぜ日本人はこのような行動をとることができたのでしょうか?日本で憲法ができたのは明治時代ですが、それ以前はそういうものが無くても、一人一人が昔からのしきたりや規則を重んじ、秩序正しく平和な暮らしをしてきたからだと言います。

普段は意識していなくても私たち日本人の中には、独特のモラルがあります。それは明治時代に日本人の精神的支柱となった「教育勅語」にすべて書かれていることです。現代のモラルの低下はだれもが嘆くところですが、教育勅語の精神は、もはや学校でも家庭でも、教えてくれるところはありません。私は、たまたま大学在学中、寮生活でこの「教育勅語」を暗唱するほど毎日読み上げていたことは、とてもラッキーだったと思っています。超がつくほど名文で、内容が素晴らしいです。

今回紹介したこの書は「父母に孝に 兄弟に友に 夫婦愛和し・・・」という要の部分を、吉田松陰や乃木大将などのすばらしい方々の感動実話を載せながらわかりやすく書かれたもので、是非お勧めです。小学生からでも読めます。 

運動会の予行練習

2013/10/15

いよいよ今度の土曜日(19日・土)は運動会です。当園の園庭には木々が多く植えてあり、畑もあるので、とても運動会はできません。なので、例年、近くの公民館体育室を借りて行っています。体育室ですと、先ずお天気の心配をしなくていいこと、裸足でできること、放射能の心配や、乳児が眠くなっても寝かせる部屋があること・・などなど利点が多くあります。ただ一つ難点は、道具を一切合切運ばなくてはならないこと、そして練習に行けない・・・ということでしょうか。

今日は“森のお部屋”で全園児でプログラムに沿って一通りやってみました。子ども達は一生懸命!スタッフも一生懸命!大いに盛り上がりました。

みんな可愛くて、その健気さに心打たれましたが、最も感動したことは、親子競技の練習で、親の役を年長児がスムーズにリードしながらやっていたことです。主体性もずいぶんついてきたと、その成長が嬉しかったです。異年齢保育ならではの成果だと思います。

明日は、大型台風が接近する予報なので、市内の小学校は休校になりました。被害がないことを祈ります。そして、運動会本番には子どもも大人もみんなで楽しめますように・・・。

生でもおいしいピーマン

2013/10/11

 本日昼前、こんな立派なEM栽培のピーマンが届きました。

毎年実施している比嘉照夫先生(EM開発者)の講演会に神栖市から欠かさず参加して下さっているEM栽培農家の池田さんからの贈り物です。池田さんのことは、比嘉先生の今年の講演会を聞いて下さった方なら覚えていらっしゃると思います。池田さんが栽培された野菜の数々を比嘉先生がスライドショーで紹介していましたから・・・。 このピーマンは、生でかじっても甘くておいしいんです。連休になってしまうので、早速今日の昼食時に子ども達に1個ずつ持たせたところ、全部食べてしまった子もいます。一口、二口かじっただけの子もいます。残ったものは袋に入れて持ち帰ります。