昨年(平成23年)の『致知』11月号に次のような記事がありました。祖国日本はなんとすばらしい国なのでしょう・・・。
「今年(平成23年)、日本は皇紀2671年である。
海に囲まれた小さな島国が、さまざまな試練を経ながら高い民度と文化を備え、今日まで発展してきたのはなぜだろうか。
そこに盛衰の原理のヒントがあるように思われる。
例えば、伊勢神宮では、正殿をはじめ社殿のすべてを新たに造り替える式年遷宮が、20年に1回行われてきた。
2年後に迎える式年遷宮は62回目になる。今回の総工費は550億円。うち220億円は民間からの志によると聞く。
第1回の式年遷宮が行われたのは持統天皇4(690)年。
戦国時代に中断されたことはあったが、以来1300年、この行事は連綿と続けられている。
伊勢神宮だけではない。全国でその地にある神社が地域の人々によって大事に護持されている。
これは世界の驚異と言っていい。
渡部昇一氏に伺った話である。
氏は若い頃、ギリシャのスニオン半島を2週間ほど旅し、ポセイドン神殿はじめ多くの遺跡を見た。
帰国後、石巻に行った印象が忘れられないという。
石巻には港を見下ろす丘に大きな神社がある。その祭りを町を挙げて祝っていた。
海を見晴らす丘に海神を祀るのはギリシャも日本も同じだが、ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。
しかし、日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮座し、住民がこぞって祝っている。
「古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きているのです」
この事実は何を物語るのか。
ギリシャ神話は有名だが、神々の系譜は神話の中だけで完結、断絶し、いまに繋がっていない。
これに対して日本は、天照大神の系譜に繋がる万世一系の天皇という具体的な存在を軸に、我われの先祖は目に見えないもの、
人知を超えたものを畏敬し、尊崇する心を、2000年以上にわたって持ち続けてきた、ということである。
そしてこの民族の魂は今日もなお生き続けている、ということである。
目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、慎む心を育んでいく。
「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らむ」という心的態度はこの国に住む人たちに共通した価値観となって定着した。
言い換えれば、私たちの先祖は「自反尽己(じはんじんこ)」に生きたのだ。
自反とは指を相手に向けるのではなく、自分に向ける。すべてを自分の責任と捉え、自分の全力を尽くすことである。
そういう精神風土を保ち続けたところに、この国の繁栄の因がある。
同時に忘れてならないのが、我々の先祖が絶えず後から来る者のことを考え、遠き慮の心を持ち続けたことだろう。
詩人の坂村真民さんはそういう先人の祈りを象徴するような詩を残している。
《あとから来る者のために 田畑を耕し 種を用意しておくの��
山を 川を 海を きれいにしておくのだ ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ》」