「長崎の奇跡」として語り伝えられる浦上病院の秋月振一郎医師。原爆投下で爆心地の高レベル残留放射能の下で、毎日味噌汁を食べ続けることで、原爆症を免れた人たちがいたと言います。わかめの味噌汁と、塩辛く握った玄米のおむすび、さらに砂糖厳禁という生活を指導し、多くの従業員や患者さんを死の淵から救ったそうです。この秋月博士は一人の被曝医師として、その後も長崎の平和運動の先頭に立って活動を続けられ、海外でも広く“ドクター・アキヅキ”の名は知られています。
幼少から病弱(肺結核や肋膜炎をやった)だった氏は、二十歳まで生きられないと、医師から言われていたそうですが、享年八十九の長寿を全うされたのは、食養運動の師と言われる桜沢如一氏との出会いで、「体質は食物」「肺病、結核は塩不足」を学び、食の大切さに目覚めたと言います。
病弱な秋月青年が実行したのは・・・①塩気をウンと摂る。②動物性食品をやめる。③砂糖、果物、嗜好飲料水をやめる。…すると、2,3か月で小さな心臓が正常型に戻ったと言います。この体験はまさに「体質や身体は、食物で改造できる」ということに気づかされ、さらに、日本人は「米・麦・大豆」の三本柱に支えられている。味噌が日本人の食物の最も大切な要になっている、と言っています。
福島の原発事故もまだまだ終息しません。除染といっても消えはしないのです。味噌・塩が放射線から身を護ってくれるそうです。今からでも遅くはありません。一日二杯の味噌汁を・・・。