今日は学童さんたちがとてもきれいにお掃除をしてくれましたが、このお手伝い、とっても大事です。是非小さいうちから何でもいいので、できることからさせてみましょう。
昔の人は、「人生はお天気の日ばかりではない。どうしたらいいかわからない台風の日だってある。その時どう工夫、判断して生きていくか。それを毎日の家事手伝いで手足を使い、苦労して学んでいくのだ」と言ってきました。
学校の勉強は大事です。知識は生きるために不可欠です。しかし、生きることは〈心、魂、いのち、精神〉というものと向き合うことだと思います。これらは家事手伝いで生きることを学べると言われています。
例えば、家事手伝いをせずに勉強ばかりしていると、理屈が先になり心が育ちにくくなるといわれます。理屈は“善と悪”をはっきり分けます。私も今回ある書を読んで気づいたのですが、例えば、玄米ブームとなると、「玄米はいい、白米はダメ。白砂糖はビタミンもカルシウムも過剰に消費するからダメで、黒砂糖ならいい。」「肉はビタミンが少なくカルシウムもないし、酸性で消化が悪い」と聞くと、「肉はダメで、野菜はいい!」と決め込んでしまいま。このように理屈が先だと心が失われてしまうのですね。
心は見えませんが、手足を使うことを嫌がらずに工夫し、努力しながら積み上げていくと、何事も調和が大事と気づくようになるのです。つまり善悪で切るのではなく、玄米も白米もお天道様からの頂きもの。自分の都合で白米にしたのは人間です。それなら外の皮を剥いで失った栄養をどう補うのか。例えばゴマは全てを補うほどの栄養があるから、ふりかけにして食べる。雑穀を混ぜてご飯を炊くなど、失ったいのちは栄養学で補い、調和して、健康に生きることができるのです。アタマとココロの調和が大事なのだということにあらためて気づかされると同時に、昔の人は理屈抜きで、大切なことを身体や五感から学んでいったのですね・・・。